お気に入りの曲

                          ■□ 天啓之章 霹靂天啓予告曲 □■                                                                             □■ 動脈音楽 ■□                                               

たかが、されど

2009年07月04日 07:30

 霹靂を知ってから、はや7年目を迎える。
 今となっては、霹靂は私の人生に欠かせないものとなった。
 私自身、ここまでのめり込むとは思いもしなかった。途中で諦めることもあり得る、と思ったこともあった。しかし、今では、そんなことなどあり得ない。
 なぜ、ここまで私を惹きつけてやまないのか、と思うとき、私は金庸を評価した陳世麒の言葉を思い出す。

 単なる娯楽読み物ではなく、現世の悲嘆と、より深い人生の境地を書き出すことができるものだ。 

 長い間、霹靂の脚本を担当していた黄強華が、熱烈な金庸ファンであることは、有名な話だ。となれば、当然金庸の原作に記載されている陳世麒が金庸に宛てた手紙を読んでいるはずである。
黄強華もまた、金庸と同じ志で、この人形劇の脚本を書いたのではないか。霹靂はたかが人形劇ではあるが、その脚本には、この言葉が真髄として深く流れているように思えてならない。

 なぜ、登場人物が、血反吐を吐きながら男泣きに泣き(中国人男性は、往々にして「日本男児」より涙もろくはあるが)、己の望みとは裏腹な人生を貫き通そうとしなければならないのか。あそこまで苦しむ必要が、人形劇と言う娯楽に、果たして必要不可欠なものであるのか。
単純に娯楽だけを考えるならば、その答えは、否である。
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歌詞より曲

2009年07月03日 07:30

 最近、ふと気付いたのだが、どうも私は歌詞よりも曲重視のようだ。
 曲の冒頭5秒で好きか嫌いかが、8割決まる。
 イントロクイズ並みの短さ。
 小説だと最初の一行で決まると言われ、
確かに最初の一行で予感めいたものを感じる時はあるが、
それでも最後まで読んでみなければ解らない、と思っているところはある。

 だが音楽の場合、大抵最初の出だしで決めてしまうことが多い。
 いちお30秒ぐらい進めてサビ付近を聞いて、これでも気に入らなければ、
その後2度聴くことは、ほぼない。
冒頭でぐっとこない上に、一番の聴かせどころのサビが気に入らなければ終いだろう。

 こういう聴き方は、ジャンルを問わず。
 霹靂の膨大な曲を聴き始めるようになってから、こういう聴き方というか、
振り分け方をするようになった気がしなくもない。
すべての曲を丁寧に最初から聴く余裕がないってんですか。
  だけど元来私が売れ筋の曲、つまりコマ−シャルなものを好むところがあるから、思えば意識的でなくても、こういう選別はしていたように思う。

爆睡

2009年07月01日 07:30

 久しぶりにノンストップ12時間寝た。
 目覚めたら12時間経過していた。
 疲れが溜まってたけど、あんまり寝てない生活が続いていたからかなぁ。
 熟睡って、大切。
 熟睡しないと体も心ももたんわ。
 久々にすっきり。

なぜ無邪気なのか

2009年06月28日 07:30

 友人が言った。
 拙宅の木偶は、なぜか総じて無邪気なところがあると。
 確かに無邪気な時、あります。
 無防備というか。
 
 言われて、ちょっと考えてみたのだけど、
たぶん、私は木偶に「楽しんでもらえたら」というような「望み」はあっても、
自分の願望や理想を木偶に押し付けないからかな、という結論に達した。
 私としては、なるようになって、本人満足すれば、それでえぇんちゃうん、
という感じ。
 もちろん、私の魂の欠片をそれぞれが部分的に持ち合わせているので、
私の性格を反映しているところはあるのだが、
そこらへんを振り返ると、私って無邪気なんだろか、とも思わなくもない。
 

それはカモミ−ルだった

2009年06月27日 07:30

 右の写真に写っている白い花。
 最近、この花がカモミ−ルだということを知った。
 あたしゃ、てっきりハルジオンに良く似た雑草かと思ってた。
 ハルジオンよりは背丈が短いけど。
 わらわら〜っと咲いているんですよ、これが。
 しろつめ草と同じような感じで無尽蔵に。
 種がどっからか飛んできたんでしょうか。
 飛んできたとしたら、自然科学館あたりからになるけど。
 まだ咲いているところをみると、結構長く咲くようですね。
 来週、また行って見ようかな。


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